第20回定期演奏会

 

2002年6月2日(日) 14:30開場 15:00開演

 

簡易保険ホール「ゆうぽうと」(五反田)

 

 

1 男声合唱のための「CANTATE DOMINO」  

 

  松下耕 作曲

 

  指揮 村松賢治

 

  I. CANTATE DOMINO  II. ADORAMUS TE CHRISTE  III. GLORIA

 

2 新実徳英作曲の作品から

 

  新実徳英 作曲

 

  指揮 松﨑隆行  ピアノ 金子信子

 

  生きる(『空に、樹に…』より)      川崎洋 作詩

 

  鳥が(『やさしい魚』より)        谷川俊太郎 作詩

 

  ヒロシマにかける虹(『祈りの虹』より)  津田定雄 作詩

 

3 The Musical Stage

 

  指揮 藤井宏樹  演出 宮内良  ピアノ 金子信子

 

  I. Over the Rainbow(虹の彼方に)  II. Tonight(トゥナイト)

 

  III. Maria(マリア)  IV. Memory(メモリー)

 

  V. The Impossible Dream(見果てぬ夢)

 

 

4 輪廻(りんね)~男声合唱とピアノのための~(2001)

 

  第20回定期演奏会記念委嘱作品

 

  萩原朔太郎 作詩  西村朗 作曲

 

  指揮 藤井宏樹  ピアノ 金子信子

 

(アンコール)

 

  柳河(『柳河風俗詩』より)(多田武彦 作曲)   指揮 藤井宏樹

 

(エール)

 

  ディオニュソスの息子たち(関裕之 作詩  多田武彦 作曲)

出会いの狭間で

 

音楽監督 藤井 宏樹

 

 さる5月5日、毎年、私にとって最も大きな行事であるTokyoカンタートが

閉幕しました。私達の合唱世界は、西洋からの音楽文化の受け入れから

始まって、いまや本当に様々な作品、演奏を生み続けるまでになりました。

こうした歩みを、より確かなものにすべく、この手でヨーロッパ合唱音楽の

真実を確かめたい、そこから日本の合唱音楽を改めて考えていきたい、

こんな想いがTokyoカンタートには流れ続けています。そして、この場所で

出会うたくさんの人と音楽は、国も、文化も、合唱団も、自らも超えて、響き

合いの場を創造していくわけです。まぎれもなく広友会は、この場作りを

担っていく合唱団であると思います。

 

 さて、西村先生に書いていただいた「輪廻」は、私達の創造をはるかに

超えた世界でした。この作品が作る音楽との様々な出会いは、私の期待や

好奇心とは無縁の、何かもっと暗い輝きの中にあるように思えてなりません。

そこには私、私達に、合唱とは?歌い合うこととは?との問いが数多く投げ

かけられてもいました。今日、このことが、どのようにお聞きいただくみなさまに

お伝えできるのか、また受けとめて頂けるのか私にも分かりません。しかし、この

演奏はこれからの私に、広友会に新たな視座を生み出してくれるに違いありま

せん。

 

 みなさん、これからの広友会にわくわくしてきませんか?

ごあいさつ

 

代表:伊藤 俊明

 

 恒例の春から初夏へ日を移し、本日、広友会は熱っぽく代20回定期演奏会を迎えました。ご多用の中、ご来場下さいましたみなさまに、心から御礼申し上げます。

 みなさまのご支援により、広友会の長い歴史のアルバムに、今年もまた新しいページ

を添えることができますことを、とても幸せに思っております。

 

 ところで、第20回を記念した今年のプログラムは、きわめて挑戦的なものとなりました。

藤井宏樹先生のお勧めもあって、西村 朗先生に記念の創作曲をお願い致しましたのは、

ちょうど、一年前の定演打ち上げの席でのことでした。西村先生は、私たちの演奏をお聞

きになったあと、過分のご評価を頂いた上で「藤井先生が指揮をするなら超難曲を作って

差し上げよう」、と予告。果たせるかな予感は的中し、本日演奏いたします「輪廻」が生まれました。音形と言い、リズムといい、超絶技巧を要することは勿論のこと、旋律の異様感に最初は度肝を抜かれました。何しろ、わが合唱人生でお目にかかる作風でしたから。

 しかし、詩人・萩原朔太郎の苦悩の精神世界への連想の中で、この異様感は少しずつ

実感へと化し、本日ようやく私達の音楽として、みなさまに御披露する運びとなりました。

私達に、全く新しい音楽の世界を開いてくださいました西村 朗先生に対し、また超難曲

を砕いて、懸命にご指導下さいました藤井宏樹先生に対し、深甚の謝意を表します。

 

 さて、本日の第20回演奏会は、広友会が未来へ向かって踏み出す、新しい時代への

第一歩でもあります。過去5年間、藤井先生には技術顧問のお立場から、合唱指導を通じ

、実に新鮮な感動を与えてくださいました。響きと流れの音楽作りの中に、様々な色彩の

感性を呼び醒ませて下さいました。歌っていて嬉しくなるような、生きている実感がありま

した。しかし今日まで、先生のご指導は特定のステージ曲に限られた範囲であり、また

先生の合唱活動全域に亘っての構想を展開していただくには、御立場上限界がありました。

 

 本日の演奏会を期して、私達は藤井宏樹先生を音楽監督に戴きます。藤井先生には、

全ての構想を存分にお示しいただき、私達はその中で真摯にご指導を学びつつ、音楽の

高嶺を目指し、合唱活動を続けてまいります。しかし、そのような新しい関係におきまし

ても、先生に決して甘えることなく、プロの指導者と社会人の理想的な関係を構築して行く

所存です。

 

一つの節目を迎え、未来に向かっての抱負を述べ、ご挨拶に代えさせていただきます。

「新実作品より」解説

 

鳥が

 

 「鳥が」は詩集『食物小屋』所収。川崎洋(1930~)にとって「鳥」は重要なモチーフで、「鳥には飛翔があり、花には色彩があるように、人間には言葉があるのだと思いたい。鳥が飛ぶように、人間にも『鳥が飛ぶ』という言葉があるのだ」と「自作について」という文の中で書いている。「鳥が」では、「鳥」と「花」が比喩の

関係で描かれていると思ったら、さいごに実は「ことばを用いる『ひと』」が比喩の中心だったと知らされる。

 

 

生きる

 

 この曲は谷川俊太郎(1931~)の詩集『六十二のソネット』の「62」と、詩集『うつむく青年』の末尾の詩「生きる」を取り合わせてテキストにしている。「愛すること」の心理と行為をボカリーズを含めた音で描きつつ、谷川俊太郎の「生命的なほめうた」という大きな主題をクローズアップすることが作曲者のねらいだと思われ

る。

 

 

ヒロシマにかける虹

 

 この詩を書いた津田定雄(1928~1975)は広島の高等師範学校在学中に原爆に遭った。彼の作品『長編叙事詩 ヒロシマにかける虹』は未完のまま遺され、死後出版された。その内容は、キリスト教の聖書のモチーフを使いながら、「ぼく」が神話的世界を遍歴するオデュッセイアである。その遍歴は「原爆の本質を明らかにするため」の遍歴だという。叙事詩の終章が「ヒロシマにかける虹」で、前半に8月6日朝の「平和記念式典」を描き、後半の長編叙事詩全体のエピローグ、救済の希望へとつながってゆく。

 

                                       (解説/深沢眞二)

「輪廻 ~男声合唱とピアノのための~」解説

 

 

 この曲は、萩原朔太郎(1886~1942)の詩「輪廻と樹木」をテキストとして用いている。彼は、前橋の医者の家の長男に生まれ、32歳の時『月に吠える』の出版によって詩壇に躍り出た。「輪廻と樹木」は1923年38歳の時に雑誌『日本詩人』2月号に発表された詩である。のちに『萩原朔太郎詩集』『定本青猫』に収められた。

 

  朔太郎には十代のころからナカという名の恋人がいて、ナカが佐藤家に嫁いでもなお交際は続いた。ところが、朔太郎が32歳の年にナカは肺結核で死に、その後朔太郎は愛情のない結婚をして二人の子供をもうけるが、やがて、索漠たる家庭生活に疲れた朔太郎の枕元にナカの亡霊があらわれはじめる。そのような状況から死者との恋愛を描く一群の詩が生み出され、やがて、ナカの亡霊さえも朔太郎の元を離れていった時、精神世界の荒野の彷徨を主題にした詩群が書かれた。「輪廻と樹木」はその一篇である。「青猫を書いた頃」という随想の中で、朔太郎は、「しかしそんな虚無的の悲哀の中でも、私は尚『美』への切ない憧憬を忘れなかつた。意志もなく希望もなく、疲れ切つた寝床の中で、私は枕時計の鳴るオルゴールの歌を聴きながら、心の郷愁する侘しい地方を巡歴した」と書いている。

 

 この「輪廻と樹木」の構成は、「わたしの過去」をさがしてさまよったあげく、「わたしの転生はみじめな乞食」であることに思い至るというのが主な流れで、それはつまり「『美』を乞い求めて歩く詩人だった」ということであろう。「でもなく」の繰り返しによってちりばめられたさまざまな事物のイメージは、朔太郎のプライ

ベートなこだわりを反映している。たとえば「毛衣を着た聖人」は、キリスト教信者であったナカとの会話の記憶から発せられた言葉らしい。また、友人の室生犀星の名も隠されている。

 

 そしてこの詩で朔太郎は、「美」を求めて「あいせつの笛の音」の聞こえる場所、すなわち吉原のような遊廓を訪れている。しかし、娼婦を「獣のやうな榛(はん)の木」と表現し、客の情欲を「乾からび」た「祭壇」、「妄想」と描く。もはや彼には、人間の情痴の世界は、ひややかな態度でしか眺められなかったのである。

 

                               (深沢眞二)