第14回定期演奏会

 

1996年2月4日(日)16:00 開演

 

簡易保険ホール「ゆうぽーと」

 

エール「ディオニュソスの息子たち」

 

  関裕之 作詩  多田武彦 作曲

 

  指揮 松﨑隆行

 

1 男声合唱組曲「北斗の海」

 

  草野心平 作詩  多田武彦 作曲

 

  指揮 牛尾孝

 

  I. Bering-fantasy  II. 窓  III. 風景  IV. 海  V. エリモ岬

 

2 男声合唱による「井上陽水の世界」

 

  井上陽水 小椋佳 作詩   井上陽水 玉置浩二 作曲   源田俊一郎 編曲

 

  指揮 牛尾孝   ピアノ 廣瀬康

 

  I. 恋の予感  II. 白い一日  III. 東へ西へ  IV. 心もよう  V. ワインレッドの心   VI. 夢の中へ

 

3 Spirituals

 

  Leonard de Paur 他 編曲

 

  客演指揮 北村協一

 

  I. Swing Low, Sweet Chariot  II. Were You There?

  III. Jesus Had a Mother Like Mine  IV. Nobody Knows de Trouble I See   V. Listen to the Lambs  VI. Set Down Servant!

 

4 チャイコフスキー歌曲集

 

  ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 作曲  福永陽一郎 編曲

 

  客演指揮 畑中良輔   ピアノ 谷池重紬子

 

  I. 何故?  ハインリッヒ・ハイネ作詩 レフ・メイ訳詩

 

  II. さわがしい舞踏会で  アレクセイ・トルストイ作詩

 

  III. 語るな、我が友よ  モリッツ・ハルトマン作詩

 アレクセイ・プレシチェーエフ訳詩

 

  IV. 憧れを知る者のみが  ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ作詩

 レフ・メイ訳詩

 

  V. ドン・ファンのセレナーデ  アレクセイ・トルストイ作詩

 

(アンコール)

 

  Après Un Rêve(夢のあとに)(Gabriel Urbain Fauré 作曲)

 指揮 畑中良輔  ピアノ 谷池重紬子

 

  Dry Bones (Spirituals/Livingston Gearhart 編曲)

       指揮 北村協一  ピアノ 谷池重紬子

 

  俵つみ唄 (青森県民謡/多田武彦 編曲)    指揮 牛尾孝

 

  雨後(『追憶の窓』より)(多田武彦 作曲)   指揮 牛尾孝


「北斗の海」解説

 

草野心平(1903~1988)の詩の世界は豊穣である。

時空間を超越した想像力。 女性的なものへの悩ましいあこがれ。色彩ゆたかな映像の言語化。意表を突く 表現のトリック。などなど。  彼はしばしば天地の間の諸現象をうたった。だがそれらは単なる自然描写の 詩ではなかった。

 

読者はそれらの詩によって、突き抜けたような爽快さを感じ させられる。おそらくそれは、無限・無窮・永遠などと表現される何か<極限 的な感覚>を紙の上に写し取ろうとする、彼の詩作の態度のおのずからなる結 果であるようだ。その感覚を彼にもたらす素材としては、天があり、富士山が あった。そして、北方の海もまた、詩人の魂の核心部分を突き動かす、極限的 な性質をおびた素材であった。

 

 組曲『北斗の海』に採られた5つの詩は、成立の時期によって2つのグルー プに分けられる。まず1940年に刊行された詩集『絶景』に収められたのが、Ⅰ 「Bering-fantasy」、Ⅱ「窓」、Ⅳ「海」。そのときまだ心平は、ベーリング 海はもとより北海道の海も見たことがなかったはずである。その心平にこれら の「fantasy」のインスピレーションを与えたのは、1933年に世を去った宮沢 賢治の、生前に唯一刊行された詩集『春と修羅』(1924年刊)、ことにその中 の「オホーツク挽歌」ほか、賢治が北海道や樺太を旅しながら妹の「とし子」 を悼んで作った詩群だったらしい。  もとより、『春と修羅』が北辺の海の荒涼とした風景に心平の想像力を導い たといってよい。だが、言葉の影響関係も小さくなかった。たとえば、賢治が 好んで用いた語に「微塵」がある。

 

   このからだそらのみじんにちらばれ  (詩「春と修羅」) 賢治が自己犠牲の主題旋律のように用いたこの言葉を、心平は詩のポイントに はめ込んでいる。Ⅳ「海」の一節はいう。    天に駆けあがつた世のかなしみは微塵になつてしづんでくる。 けれども、心平の「微塵」は新しい「微塵」であった。心平は天から海底まで の視点の上下移動を表現し、彼の詩の独自な世界、すなわち<極限的な感覚> の描出を試みたのである。 

 

 そして、1951年刊の詩集『天』に収められたのが、Ⅲ「風景」とⅤ「エリモ 岬」である。やはり「微塵」の語を持つ「風景」はまだ奔放な想像力の成果の 趣きだが、「エリモ岬」は明らかに道東の旅の実体験の詩である。のどかな風 景がいきなり尽きて、Ⅰ~Ⅳの各詩に想像によって描かれている時空の「茫漠」 に、思いがけずじかに触れた、その落差が心平の心内語をはさんで強調されて いる。そのとき心平は直接目にした襟裳の風景に手放しでシビレていたのであ る。同じ時の印象を、同じ「エリモ岬」という題をもつ別の詩では「Pacific 押しよせ。/エリモ押しかえし。/ここらあたり実に。/荒荒しい汎神論の棲 み家である。」とも表現している。

 

 だから、この組曲は、Ⅰ~Ⅳの想像的かつ構築的な詩の世界が、Ⅴの現実の 海によっていっきに開放される構成となっている。  心平が訪れた46年前に比べ、観光地化されたとはいえ、いまなお襟裳岬は遠 い。広友会のメンバーの何人かはこの曲の演奏のために実際に襟裳岬に行って、 「エリモ岬」を歌ってきた。たしかに、襟裳岬にはたどり着いた者の心のこわ ばりを、ぱあんと開放してくれる風景が待っていた。

 

 広友会の演奏が、心平の世界の、緊密に組み立てられた<極限的な感覚>と、 その果てにめぐりあった襟裳の風景の開放感とを伝えられているならば幸いである。