第10回定期演奏会

 

1992年2月16日(日)2:00PM 開演

 

新宿文化センター・大ホール

 

I. Deuxieme Messeより

 

  Charles Gounod 作曲

 

  指揮 牛尾孝

 

  オルガン 辰巳美納子

 

  Kyrie・Gloria・Sanctus・O Salutaris・Agnus Dei

 

II. Robert Shaw Choral Album

 

  客演指揮 北村協一

 

  Seeing Nellie Home・Grandfather's Clock

 

  If I Got My Ticket, Can I Ride?・Wait for the Wagon

 

  Love's Old Sweet Song・Wive L'amour

 

III. 合唱による風土記「阿波」

 

  三木稔 作曲

 

  指揮 牛尾孝

 

IV. 男声合唱組曲「吹雪の街を」

 

  伊藤整 作詩 多田武彦 作曲

 

  客演指揮 北村協一


ごあいさつ

 

代表:伊藤 俊明

 

 10年の歳月を刻んで、本日第10回定期演奏会を迎えました。ご多忙の中、記念の演奏会にご来場下さいました皆様に、厚くお礼申し上げます。

 

 身の回りの変化はめまぐるしく、飛ぶように過ぎ去る毎日ですが、この年ごとの演奏会は、私達に時の流れを告げてくれます。今日、10年目のこの日を、私達は一つの世代の区切りとして、また次の新しい10年の出発点として画し、記念のステージを企画しました。

 

 顧みて、創設期のつつましい小家族時代のあの頃や、耐えに耐えた組織づくりの苦悩の日々は、今懐かしい思い出となって私達の10年史のアルバムに収められています。

 

 そしていま、総勢80余人。牛の歩みのように進歩の遅い足取りでしたが、努力の積み重ねが実って、ようやく昨秋、晴れて全日本合唱コンクールで上位入賞を果たしました。この重い入賞の喜びをかみしめながら、10年の旅路を振り返るとき、ほっとした安堵感とともに、長く私達の活動を見つめ、支えてくださいました皆様方に対し、心からの感謝の念を禁じえません。

 

 振り返って、この10年間の尽きない思い出の1本道は、私達が愛し歌い続けてきた多田武彦先生の男声合唱曲でした。それは今なお、私達の活動を支える心の絆でもあります。メンバーの少なかったその頃から、詩情と音楽の融合を繰り返し教えてくださり、また私達にエールと、そして忘れ得ぬ組曲「樅の樹の歌」を創作して下さいました多田武彦先生に深甚の謝意を表します。

 

 さて10年目の記念ステージを企画するにあたり、私達の共通の願いは、演奏の質の向上でした。そこでこのたび、超多忙の二人の先生に特別のお取り計らいを頂きご指導を受けることになりました。発声法の改造や声の土台作りを大久保昭男先生にお願いし、歯切れの良い明快なお言葉で一人一人に手ほどきをいただきました。もうお一人、このたび2つのステージの指揮を北村協一先生にお願いいたしました。豊かな音楽の表情や躍動感を、歌う私達の心に導いてくださり、いつも興奮に満ちた楽しい練習の時を与えてくださいました。お二人の先生方の溢れるご熱意とご指導に対し、心から感謝申し上げるとともに、私達一人ひとりが、何か心に目覚めるものを持って本日の記念ステージを精一杯歌うことができますよう、心に新たなものを感ずる次第です。

 

 日頃仕事に追われて、ゆとりを見失いがちな私達ですが、10年間守り続けてきたこの貴重な「共感の世界」を決して忘れることなく、さらに夢を抱き、21世紀に踏み込む次の10年に向かって逞しい足取りを続けてゆきたいとおもいます。

 

 この1年のみなさまのご支援に感謝し、これからもなお変わらぬお力添えを賜りますようお願い申し上げ、ごあいさつといたします。

真摯にして硬骨の息子たち

 

多田 武彦

 

 戦後の日本の合唱音楽の隆昌の結果、大学のOB合唱団や社会人合唱団もたくさん生まれた。日常の激務にも拘らず、合唱音楽に心の潤いを求めて、彼等は合唱を愛しつづけた。

 

 こうした多くの合唱団の中で、メンネルコール広友会のメンバーたちは一味違う。「真摯にして硬骨」なのである。「たかが合唱」などという中途半端な気持ちで練習に来る人はまず居ない。日常の仕事に取り組む時と同じくらいの真剣さで音楽と対峙している姿は感動的である。こうしたメンバーの気概が、昨年の合唱コンクールの快挙を実現したと謂えよう。

 

 そこで、こうした特性のある合唱団だからこそ、私には次のような夢がある。

 

 こういう風に合唱団が充実してくると、ともすれば、難曲に取り組もうとする。そしてその達成感を味わう。プログラムのすべてのステージがこうなってしまうと、聴衆はうんざりする。こうならないでほしい。

 

 永い年月を唱い継がれて来た各国の民謡を、(複雑怪奇な編曲ではなく)淡々と歌い切るほど難しいものはない。これを成し遂げるには、正しい発声、狂いのないピッチ、整然とした和声、などを駆使出来る実力を持つことが必要になる。

 

 こうした実力が備わった上で、はじめて、宗教曲や現代曲を歌って、聴衆を魅了することも出来る。

 

 「真摯にして硬骨のメンネルコール広友会」には、これを成し遂げる潜在能力があるものと、私は夢見る。心からご健闘を祈る。

「阿波」解説

 

 かつての音楽は全て労働に源泉し労働に還元され、思想にも感情にすらも優先した と思われる。この作品に一貫するものはその「労働」であろう。また労働の形態はそれ 自体音楽の型式につながり得るものであり、この作品では伝統保存ということよりも、 この地方に存在しまたは存在した労働の形態から音楽を再創造することに、より多くの 努力がはらわれている。したがって、部分的には生の民謡から得られた伝承旋律を使用 しながら、多くは全く原型を止めぬものや、架空の旋律で構成されている。

 

 これは出版された『合唱による風土記 阿波』の楽譜に添えられた、作曲者三木稔氏 の言葉である。阿波の国、徳島県の民謡を素材に、その本来の労働の形態にたちかえって「音楽を再創造」したというのであるが、ここには作曲された1962年当時の社会や音楽界の状況が反映している。この曲集が労働音楽の再創造という点で成功した例であることはもちろんだが、30年たって世の中の状況が変わってしまってもなお歌われ続けているのは、また別の魅力のためであろう。それは、祝祭的熱狂とひそかな恋情などを歌った、演奏するものにとっても非常に受入れやすい民俗の魅力である。

 

 なお、メンネルコール広友会は1991年11月の合唱コンクール全国大会で、自由曲に2曲目の「麦打ち」と5曲目の「たたら」を歌い、銅賞を獲得した。

 

1.たいしめ(鯛締)

 

   「サヨホエ」「ダシタナ」「キリワイエホ」「ヨイヤマカセノホイ」といった掛け声が

   この曲の主役であり、鳴門海峡に船を出して網を引く作業を活写している。掛け声の間

   にテナーソロやパートソロで現れる言葉は、鯛などの上ものの魚の大漁を願う「祝い」

   歌である。最初の歌詩は「花笠音頭」として有名な、日本全国に流布する子孫繁栄祈願

   の文句。2番3番はその「うれしめでたの若松さま」の定型から派生した、

  阿波の風土に即した独自のヴァージョンである。

 

 

2.麦打ち

 

    この曲に描かれた作業は、麦の穂を穀竿(からさお)で打って脱穀するところで、

  「ヨーオイヨオオイ」の間に空中に竿を回してバタンと1回打ちつけるさまである。

  歌詩は男女の密会の心情を山鳥に託した内容で「山では山鳥が、夫婦添い寝して睦まじ

    く夜を過す。その山鳥の尾は長いけれど、人目を忍んで逢いびきをする夜の短いことと

    言ったら!」「山鳥は山が暗くなっても山から離れようとしない。それは可愛いあの娘

    から離れたくないからだ」「鐘がゴンとなって夕方が来れば、早くあの娘の元へ行きた

    い行きたいと気持ちがはやる。ところがここは寺の多い町、一日中ゴンゴン鳴って、

  私を一日中はやらせる。」

 

 

3.もちつき(餅搗)

 

    徳島県脇町というところは「ウダツがあがる」の「ウダツ」(家の格式を示す装飾の

    一種)が民家の屋根に残っている町として有名で、気風も豪気な所だという。何か祝儀

    があると、賑やかに囃しを入れて餅を搗いて配るのである。この曲の歌詩はそのお囃し

    の文句であり、祝儀のあった家の旦那や妻子はもとより屋敷の庭や裏口をも褒め、縁起

    のよい「富貴」「鶴亀」を並べ立てる。餅がよく搗かれてくるにしたがって次第に

    アップテンポになり、手締めをして出来上がり。

 

 

4.水取り

 

   藍の栽培には乾燥が大敵で、畑の井戸の「はねつるべ」から二人組になって水を汲む

  作業が必要であった。この歌には、少人数の単調な仕事の合間に、ちょっと卑猥な歌を

  こっそり歌う雰囲気がある。1番は恋人と離れたくない気持ちを歌う。2番ははぐらかし

  の春歌である。

 

 

5.たたら(踏鞴)

 

   寺の鐘などの大きな鋳造の作業のために、阿波の村々には「たたら組」と呼ばれる組織が

  あった。派手な揃いの衣裳を着こみ、何団体もで炉の火の高さを競い合うその作業には

  数万の見物人が出たという。地の神に安全を祈る「東西南北 鎮まりたまえ」で始まり、

  音頭取りは「浄瑠璃くずし」といわれるさまざまな歌詩を次々に歌ってフイゴ踏みの呼吸

  を合せたのである。その作業は、まさに「阿波踊り」の祭りの熱狂と通じ合うものであった。

「吹雪の街を」解説

 

 1926年、小樽の中学校教員だった伊藤整は、詩集『雪明りの路』を刊行した。それは、北海道石狩 湾岸の自然や風土を歌った詩を主とし、家族や数人の女性などへの感情を述べた抒情的な詩をまじえ ていた。中央の詩壇は、当時21歳の彼の清新なロマンチシズムを好意的に迎え入れた。のちに作家と して大成した彼は、1954年から自伝的小説『若い詩人の肖像』を発表するが、それは『雪明りの路』 の背景にあった人間関係を赤裸々に述べるものであった。

 

 小説を併せ読むことによって、彼の詩はよ り生々しく読者に迫ることになったのである。 『吹雪の街を』は、詩集『雪明りの路』から女性への想いが表面に出ている詩を中心に選んだ男声 合唱組曲で、同じ多田氏の組曲『雪明りの路』が表向き北国の自然や風物を描いている詩群から成る のとは趣きを異にしている。

 

 ここに選びだされた6つの詩には、3人の女性が登場する。Ⅰ「忍路」 Ⅱ「また月夜」に歌われているのは、小説では「浅田絶子」と呼ばれている少女で、伊藤整の家のあ る塩谷の隣の忍路の村に住んでいた。彼の憧れにもかかわらず、うちとけて語ることはなかった。

 Ⅲ 「夏になれば」の女性は詩の副題にあるTという頭文字しか分らないが、やはり距離をもって見つめ るだけの存在であったようだ。そしてⅣ「秋の恋人」Ⅵ「吹雪の街を」の詩の対象は小説では「重田 根見子」と名づけられている少女で、彼が19歳、彼女が17歳の夏に親密になり、性的な交渉をもつ。 翌年春には別れてしまうのだが、彼はこだわりを持ち続けた。

 

  しかしこうして組曲とされた6つの詩は、対象の女性の別にかかわらず、ひとりの多感な青年の、 19~21歳の恋愛感情の成長とその結末の物語として味わうべきであろう。Ⅰの憧れに始まり、Ⅱのひ そかな彷徨、Ⅲの相手の幸福を願う優しさ。Ⅳには恋人が心の内を語るのを待つ心情とともに「秋」 の別れの予感が仄めかされる。そしてⅥは、別れた女性を忘れがたく、情熱の再燃を求めてのさまよ い。Ⅰの主題が再現される。このような流れの中では、Ⅴ「夜の霰」もまた、冬の夜にも激しく音を 立てる彼の感情を描いているかのように響くであろう。

 

 ちなみに、Ⅳ「秋の恋びと」は、イエーツの 「秋が来た。木の葉は散り、君の額は蒼ざめた。今は別れるべき時だ。」という詩句に、つよく影響 された作品である。また、Ⅵ「吹雪の街を」の詩の末尾に付されたフランス語は、ジャン=モレアス の「NEVER MORE」という詩のはじめの二行で、「今ひとたび甘美な夢を見るがいい/甘美 で花瓔珞に飾られた‥‥」(瓔珞=貴金属製の冠や首飾などの装身具)の意。  

 

 1979年にこの組曲が初演されて以来、とくに大学の男声合唱団において愛唱されつづけてきた。詩 の主人公と同じ20歳前後の男声には、自己の体験と重ねあわせてこの組曲に酔うことができるからだ ろう。そうした陶酔を味わった者の多くは、忍路・蘭島・余市のあたりを訪ねてゆく。きっとこの組 曲が歌いつがれるかぎり、北国のすがすがしい風景のなかを、さまざまな青春が彷徨いつづけるのだろう。