第8回定期演奏会

 

1989年12月3日(日)1:00PM 開演

 

中央区立中央会館

 

I. 男声合唱組曲「五つのラメント-草野心平の詩による」

 

  草野心平 作詩 広瀬量平 作曲

 

  指揮 牛尾孝

II. 賛助出演

 

  指揮 石河清

 

  演奏 コールマミー小名浜

 

  ピアノ 佐田洋子

 

  バリトン 松本進

 

  海の音(石河清作詩・作曲)

 

  女声合唱組曲「大いなるいわき」(草野心平 作詩 石河清 作曲)

 

III. 男声合唱組曲「樅の樹の歌」

 

 (創立10周年記念委嘱作品・初演)

 

  尾崎喜八 作詩 多田武彦 作曲

 

  指揮 牛尾孝

IV. ドイツ合唱曲集

 

  指揮 牛尾孝

 

  ピアノ 広瀬宣行

 

  アルト 川口雅子

 

  おやすみ(ドイツ民謡)

 

  歌劇「魔弾の射手」第三幕から 狩人の合唱

 

  ウィーンの森の物語

 

  セレナーデ(シューベルト作曲)


組曲「樅の樹の歌」について

 

多田 武彦

 

 昭和48年、17年ぶりに郷里の大阪へ帰った。3年ほど、作曲から遠ざかっていたが、久しぶりに、関西学院グリークラブのために、新曲を書くことになって、詩集を探しに出かけた。恥ずかしい事ながら、尾崎喜八先生の詩とであったのは、このときがはじめてである。

 

 彌生書房から出版されているこの詩集の巻頭に、尾崎先生のポートレイトがあって、その次のページに、原稿用紙に書かれた「かけす」が掲載されていた。尾崎先生の詩に作曲しようと思ったのは、この「かけす」との出会いによると言ってもよい。

 

 読むものの心に、清新の感動を与えてくれる先生の詩には、同時に、「何気ないけど、尾崎先生が用いると、きらりと光る言葉」がある。

 

   <とんで行くのがじつに秋だ>          <空気の波をおもたくわけて>

 

   <深まる秋のあおくつめたい空気の海に>

 

など。

 

 歌曲や合唱曲の作曲にあたっては、詩の心に逆らわないように、寄り添うように、これをおこなうことが大切だが、要所要所にちりばめられた詩人特有の言葉の輝きも、見落としてはならない。

尾崎先生の詩には、自然な姿で,美しい日本語が配置されていたので、充実した心で作曲出来たことを想い出す。

 

 昭和61年、神奈川大学フロイデコールから、「30年間この合唱団を指導されてきた坂田先生の30周年記念演奏会」のために、新曲を依頼された。坂田先生の若かりしころの姿を、「新任の若い女の先生が/モーツアルトのみごとなロンドを弾いている。」と結ばれている尾崎先生の「田舎のモーツアルト」の詩にオーバーラップさせて、この詩を交えた組曲「尾崎喜八の詩から・第二」を書いた。

 

 この組曲の第5曲目に「夕暮れの歌」というのがある。

「夕ぐれ、窓の向こうの闇を、/風にたちさわぐ並木に沿って、/シューベルトの「菩提樹」うたいつつ行くの誰か。」に始まるこの詩を、私は、バックコーラスに、「菩提樹」をうたわせながら、独唱をさせた。これが、「樅の樹の歌」の終曲にも受け継がれることになる。

 

 さてここでやっと、組曲「樅の樹の歌」にたどりつく。

 

 メンネルコール広友会には、20歳台から50歳代までの、日本の各界や地域社会の第一線で活躍されている人たちが集まっている。これらの人たちの目の輝きは、日々の激しい仕事の場での緊張感を、いい意味で合唱の世界に持ち込んでいるせいか、妙に凛凛しく若々しい。

 

 そんな人たちの熱望で、新曲を書くことになった。おのずから、こちらの気構えも違ってくる。

社会的には、酸っぱいも甘いも噛み分けているはずの人たちなのだが、合唱する姿は、いやに純粋である。この延長線上をずっとたどっていくと、いつのまにか、尾崎喜八の領域に到達してしまった。

 

 しかい、詩を選んでいくうちに、前2作とは趣を異にした「詩人によって謙虚に包み込まれた筈の感動が、逆にひししと読む者の心に迫ってくるような詩群」が残っていった。特に、「妻に」の副題を持った「故地の花」と、「Tannenbaum」の冒頭の歌詞が添えてある「樅の樹の歌」は、広友会のメンバーの心を投影しているような詩に思えた。

 

 組曲の標題も「樅の樹の歌」とした。これは、「樅の木の高雅な樹形」と「ドイツ民謡樅の木の清明な曲想」と「尾崎喜八の清廉な詩風」が、何か一つの絆で結ばれているように思えたからである。

 

 そしてここにも、ステンドグラスのような奥行きの深い色彩をちりばめた言葉の数々があった。

 

   <大気にうかぶ槍や穂高が/私に流離いの歌をうたう>(春の牧場)

 

   <ぽうとかすんだ雲母刷の空の奥に/八ヶ岳がまるで薄青い夢だったな>(金峯山の思い出)

 

   <それでいて孤独の味を知っているということは、たしかに美しく、男らしい>(樅の樹の歌)

 

 この組曲を契機として、広友会の人たちが金峯山へのバスツアーを実現し、本谷川を遡った。

富士見の方々にお会いして、暖かい心の交流を得た。紫陽花と岩煙草の花に囲まれた尾崎先生のお墓にお参りした。私も尾崎先生が愛唱されていたアイルランド民謡「西からの風」を広友会のために編曲した。伊吹麝香草の押し葉をいただいた。人と詩と音楽のつながりとひろがりは、今回もまた、多くの人たちの心に、雲母刷の空と薄青い夢を残していったようだ。

ごあいさつ

 

代表:伊藤 俊明

 

 早や初冬が訪れ来て、本日第8回定期演奏会を迎えました。ご来場下さいましたみなさまに、厚く御礼申し上げます。

 

 平素、四季の移り変わりも気がつかないまま、慌ただしい日々を送る私達ですが、毎年巡り来るこの初冬の演奏会の日には、ふと、月日の経過を思い出します。

 

 昨年、創立10周年の区切りをつけた私達は、ようやく土台づくりの時代を終え、より高い

合唱の質を目指し、伝統を創る新しい時代を迎えました。そして、その1年目である今年は、何かと欲張ったプログラムを試みました。先ず、私たちの技量と力量の限界に挑む「五つのラメント」をとりあげ、更に、優雅で躍動的なウイーンナワルツを、苦手と知りつつ選び、難行の末、本日これらを披露します。しかし、何と言っても今年の目玉は、多田武彦先生に創作を委嘱し、その夢がかなって実現した男声合唱組曲「樅の樹の詩」の誕生に至りました。

 

 「樅の樹の詩」を手にして、私たちには二つの思いがけない喜びがあります。そのひとつは、多田先生が尾崎喜八の詩を選ばれるのに際して、私たちの生き様に深く思いを寄せてくださったことでした。年を経た詩人が、美しい自然描写の中で人生の感慨や人への想いを綴った詩を、多田先生は私たちのために選んでくださいました。もうひとつは、詩人が「音楽への愛と感謝」の中で「音楽の美は私を喜ばせ、鼓舞し、慰め、また時に私を鞭撻しつつ精神を高揚させた」と述べている通り、尾崎喜八の詩自体が、音楽との深いかかわりを持っていることを初めて知り得たことでした。

 

 素晴らしい記念の譜を創作してくださいました多田武彦先生と、詩人を身近な人として引き合わせてくださいました尾崎実子・栄子御両氏に、重ねて厚く御礼申し上げます。

 

 さてこのような意気込み、練習しはじめてから早や1年が経ち、ベストを尽くしたとはいえ、やはり心残りのまま、今日この日を迎えました。精一杯歌います私たちの演奏に、どうぞご忌憚の無いお言葉をお寄せくださいますよう、お願い申し上げます。また、私達は働く身のはがゆさを感じながらも、来る年来る年、新鮮さと、いささかの進歩を求めて努力してまいります。皆様方の変わらぬご支援をお願い致します。

 

 最後になりましたが、今回遥遥小名浜から賛助出演をお引き受けくださり、演奏会を飾ってくださいました、石河清先生他コールマミーのみなさまがたに、その変わらぬご活躍に対し敬意を表しますと共に、今度のお力添えに対し心から謝意を表します。

尾崎喜八と信州富士見

 

尾崎 実子

 

 メンネルコール広友会の第8回定期演奏会を心からお祝い申し上げます。

 

 合唱組曲「樅の樹の歌」の、多田武彦氏がお選び下さった尾崎喜八の詩5篇のうち、「春の牧場」 「故地の花」 「音楽的な夜」 は、長野県諏訪郡富士見村(現在は、富士見町)八ヶ岳山麓の高原湿地帯に私たち夫婦が戦後の7年間を住んだ頃の作品です。

 

 娘を嫁がせた半年後に空襲で罹災し、私たちに残ったものは罹災間際に東京郊外の親類の蔵に預けた主人の蔵書と、自然観察の道具と、1台の小さなオルガンと、当座の身の回りのものだけでした。それから1年半、親類・友人の家に転々と身を寄せる生活に、尾崎は体を病み疲れ果てて、ついに娘の疎開先信州富士見に移り住むことを決意したのでした。尾崎は54歳、私は41歳の年でした。

 

 元来、山・音楽・自然が好きな尾崎は、この高原での生活に生き返ったように元気になり、かねて勉強していた自然の各分野の知識を駆使して、日々の生活を活気ある充実したものにしていったのでした。

 

 今回、この頃の思い出を書くようにとご依頼を受けましたが、私の拙い文章で綴るよりは、主人の言葉で語ってもらったほうがよいかと思い、一篇を載せさせていただきます。これは「尾崎喜八詩文集」に収録されていない作品で、最近資料を整理しているうちに掘り出されたものです。

伊吹麝香草

 

尾崎 喜八

 

 今日は朝の散歩の途中、丘の斜面の草の中に、ひとところ蔓を引いて咲きこぼれているこの夏最初の伊吹麝香草の花を見出して喜ばされた。太陽の光線の力強い、大きな雲のきらきら輝く梅雨の晴れ間に、高原の夏を象徴する匂いも高いその花がいかにも新鮮に、いかにも清楚に、いかにも待ち望まれたものとして私の心を強くとらえた。

 

 花にせよ、草木のもみじにせよ、春秋に渡来する小鳥にせよ、また蝶や蜻蛉や蛍のような昆虫にせよ、その年の最初の発見者には必ず或る鮮やかな感銘のともなうものである。自然を愛して、永年のあいだ自然をこまかく注意深く見ている者にとっては、自分の住んでいる土地の生物や色々な天気現象について、一種の暦がーいわば自然暦ともいうべきものが出来上がっている。そして人は、めぐって来る季節を前に、記憶の中の暦を繰りながら、やがて現れるものを待ち望み、ついに出現したそれを切実な喜びをもって迎えるのである。

 

 この楽しい予感と期待と輝かしい実現とは、われわれの自然暦の大きな魅力であるが、一年の時の流れのそれぞれの日に必ずその約束が果たされるという点で、この暦は又われわれに深く自然を信頼させるという大きな徳を持っている。しかも大多数の人々は、この信頼の意味に心をひそめてみようとはしないのである。

 

 私は斜面の草の中を下りて行って伊吹麝香草にちかづいた。すると早くも足の下からこの植物特有の爽快な匂いがーー夏の晴れやかさを強調し、汗や倦怠を駆逐する鋭い佳香が、透明な霧のように立ちまよった。私は小さく丸くかたまって咲いているそのライラック色の花の房を五六本、米粒のようなこまかい葉の対生している細い茎ごと、蔓の先からちぎって採った。匂いは私の指の先からも夏のメロディーを高く歌った。

 

 今その伊吹麝香草の花は、それにふさわしい小さい涼しい壷に挿されて私の山荘の机の上にある。梅雨の晴れ間の明るい午前を森の中では日雀がさえずり、森の外では遠い郭公の声が霞んでいる。私はこれから又毎日の仕事であるリルケの詩の翻訳にむかうつもりだ。岩をうがって清冽な泉をほとばしらせるような「時祷詩集」の翻訳に。

 

 腕からはずした時計の銀のわくの中では、ほそい針が午前十時をさしている。